• 2005.08.21 Sunday

皇帝ペンギン〜命がけの子育て

皇帝ペンギン
昨日、のっち(娘)とその同級生を連れて「としまえん」へ出かけた。
第1の目的は「皇帝ペンギン」を見る、第2はとしまえんで遊ぶ!

家を15時前に出たが、まだまだ暑い! 西武池袋線で豊島園へ。初めて降りる駅なのでわくわく。
# ホントは石神井川沿いに自転車でとしまえんに行こうと提案したのだが
娘たちに却下された。えーん。秋になったら自転車で行こうねえ!

駅を出たらまだ右側にあるユナイテッド・シネマで18時45分の回の映画の
席を取る。満席か、なんて心配したけど、まだまだ余裕。

としまえんにてとしまえんに入ったのがちょうど3時45分。
涼しそうな急流すべりをしようと思ったら長蛇の列、後回し決定。

歩いていると、どこからか霧が。
あちこちで霧発生装置が作動しているらしく、なにやら涼しげ。

遊園地定番のソフトクリームは溶けるのが異常に早く、手がべたべたになって一騒動。

バイキング、(結局並んだ)急流すべり、メリーゴーランド(でかい!)と、いろいろ遊んで6時半、映画館へ。
遊びすぎて子供たちは映画の最中に寝ちゃうんじゃないかと思ったけど、ちゃんと起きてた(2、3分、うつらっとしたらしいけど)。
皇帝ペンギン、子供にも好評!

あの過酷な環境で子育てをするペンギンたちには脱帽だ。命がけで卵を守りヒナを育てるペンギンを見て「人間でよかった〜」と心から思ったよ(笑。

数的にはオスがメスより少ないため、カップリングではメス同士の争いもある。羽でばんばん相手を叩いて、かなりの迫力。その間、オスはなす術もなくぼーっと見てるんだけど。

なぜオスが少ないか。映画を見てると理由がわかった。メスは卵を産むとすぐ海へ向かう。20日間歩きとおして海に到着し、空腹を満たすのだ。だがオスはメスが帰ってくるまで、さらに3ヵ月間、エサを食べずに卵を温め続ける。やっと帰ってきたメスと交代する頃にはなんと4ヵ月以上の絶食状態。20日間歩いて海にたどりつく体力ぎりぎり、だそうで、この行進で命を落とすオスが多いらしい。

ペンギンの子育てはオスのほうが体力的負担が大きいようだ。でも、卵を産むのに体力を使ったメスが先に海へ出かけるのは当然。どっちにしても大変だよなあ。

人間も確かに「産む」のは命がけではあるが、その後「育てる」ときに、これだけ命がけでやってるか?と問われると、ペンギンのほうが文句なく偉いと、つくづく思う。

ペンギンのヒナ
ペンギンのヒナがあんなにもかわいいのは、奇跡のように守られて生まれてきた生命だから。1羽の愛らしいヒナの陰には、凍てついた卵やヒナ、アザラシに捕食されてしまったり行進中に力尽きた親鳥が無数にいるのだ。

そんなヒナも成長し、夏になって氷が溶けて営巣地近くまで海が近づいてくると、一人立ちして海へ帰っていく。

まだまだ幼鳥のふわふわ毛が抜けきってない姿だが、4年後、営巣地へ戻ってくる頃には、立派な大人ペンギンになってるのだろう。

ところで吹き替え版を見たのだが、ナレーションはともかく、音楽が非常によい時と、耳障りなときと、差が激しいように感じた。 WATARIDORIみたいに、ほとんど音楽抜き、でもよかったかも。

  • 2005.08.15 Monday

宇宙戦争(たまには映画でデート)

うちは夫婦であまり趣味が合わず、いっしょに映画に出かけるのも
多くて年数回。
お盆、お正月、クリスマスってなところだ。
その合間に、お互い好きな映画を適当にひとりで鑑賞してる。

んで「宇宙戦争」。
珍しく意見が合ったので、これ幸いといっしょに出かけた。
つれあいが「ホラーだ」と言い張るので、ひとりではみたくないよーんと
珍しく弱気になっちゃったせいもある。

んで「宇宙戦争」の感想。
確かにホラー風味であった。火星人ぐちょぐちょ系でグロテスク。
人類がパニックになっていく様子もホラーっぽい。

何よりホラーなのは、トム・クルーズの娘役ダコタちゃんの悲鳴。
悲鳴ちゅうよりは「金切り声」。
それも一本調子な「キャーっ、きゃいきゃいきゃーっ」じゃなくって
「グギャーーーーー、ヴヒャァァァァァ、キェェェェェーッ」
と、シーンにより、身の毛もよだつような何種類かを使い分けてる。

このコ、すごいわ、と思った。
1度も笑顔を見せず、悲鳴と目の演技だけで恐怖を表現してる。
対して、トム・クルーズはやっぱり生来の「さわやか笑顔」が邪魔して
ダメ父ちゃんが今ひとつダメに見えませんねん。

全体としては「宇宙人襲来の恐怖」をきっちり描いたSFパニック映画として
及第点だと思う。
でもねー、家族愛に生きるあまり、助けてくれた恩人にあの仕打ちはどうよ?とか、オヤジに反抗して危険を顧みず宇宙人との戦いの現場に飛び込んで行った息子の運命はあれでいいのか?とか、人類より優れた知能を持つはずの火星人が、なぜ地下室に潜む主人公たちに気づかないのか?
等々。

いろいろツッコミどころが満載で、映画鑑賞後の話題には事欠かない。
そういう意味では最高の(?)デートムービーですわ〜。

  • 2005.06.28 Tuesday

ミリオンダラー・ベイビー

先週末は映画三昧。スターウォーズのお次は、アカデミー賞受賞作にいっちゃいました。以下、おおいにネタばれありですが、ツボは反転しないと読めないようにしてます。

イーストウッド監督作品をみたのは、これが3度目。
かなり前にTVでやってた監督・主演作「目撃」(1997)をみて、イーストウッドもいいじーちゃんになったなあ、と感慨を覚えた。「スペース・カウボーイ」(2000/監督・主演)でも、タフなじーちゃんぶりは際立っていたが、枯れても老いてもイーストウッド、なんだか色気がある。「ミリオンダラー・ベイビー」では、孫かと思った自分の娘も共演させちゃってますもん(ガソリンスタンドで犬といっしょに車の中にいる女の子)。日本にこんな75歳(撮影時74歳)いるかしらん? 児玉清とか? いやー彼は清潔すぎて、ワルの色気に乏しいな。

実はワタシ、イーストウッドを他人とは思えない、ある理由があるんじゃい。
なんじゃそりゃあ?
父親とちょっとだけ似ているのだ。もちろんあんなにカッコよくない。1931年、イーストウッドと同じ年生まれの父は、いかりや長介+イーストウッド÷5ぐらいな風貌なんである。いやまあ、どんなに贔屓目に見てもいかりや長介寄りの頑固爺のくせに、ちょっとだけ、顔の骨格とか眉毛あたりがイーストウッド風味なのだ。

というどーでもいいことはおいといて、そろそろ本題。
★ネタばれ部分は反転しないと読めないようにしています。
★ばればれ度は高いので、不用意に反転しないでくださいまし。

主要人物は3人。ジムのオーナーで老トレーナーのフランキー(もちろんイーストウッド)、13歳から31歳の現在までウェイトレスで自活し、ボクサーになることだけが今の夢という孤独なマギー(迫力のヒラリー・スワンク)。フランキーの親友でジムのマネージャーをしている元ボクサーのエディ、通称スクラップ(シブすぎるナレーション兼任のモーガン・フリーマン)。時代設定はいつなのだろう? だれもケータイを持たず、自宅の電話は黒電話、現代とは思えないが、そういう背景は、圧倒的なストーリーの前にはあまり気にならない。物語はスローに始まり、マギーがフランキーに弟子入りを願い、何度も拒まれ、やがて根負けして何とか受け入れてもらうところからスピーディに回り始める。

ボクシングのシーンは、みてる側に痛みを感じさせるほど本気だ。マギー(ヒラリー・スワンク)が鼻を折られる場面、特に痛かった。私はガラスの自動ドアに(自ら)激突して鼻折ったというアホな経験があるので、またもや他人事と思えず…。しかし「鼻の骨折はあまり痛くないんだ」なんてスクラップ(モーガン・フリーマン)が言っていた。ホントか? むちゃくちゃ痛かったぞ〜。ボクサーは試合中アドレナリン出まくりだから、痛みを感じないのだろうか?

フランキー(イーストウッド)とのトレーニングで力をつけてきたマギーが試合に出たいと言い、じゃマネジャーをつけてやる、とあっさりイーストウッドがマネジャーを紹介(つまりフランキーは手をひくぞ、と)。だが、その試合を見ていたフランキーは、つい口出ししてしまう。フランキーのアドバイスで形勢逆転、勝利したマギーが「もう2度と見捨てないで」とフランキーに頼むシーンは、非常に抑制が効いていたが切なかった。

マギーは連戦連勝、イギリスを皮切りにヨーロッパを転戦し、アメリカに帰国したときは立派な“プロ”ボクサーになっていた。このあたり話はテンポよく進み、いや進みすぎて、なにか不安を感じるほど。その不安は後半、現実となってしまう。KO勝ち連発のこの爽快感すら、後半への布石だったとは。

念願のタイトルマッチの日がやってくる。相手は汚い手を使うことで有名な「Blue Bear(青い熊)」のリングネームを持つドイツ人。対するマギーは、フランキーが作ったグリーンのリングローブの背に書かれた「モ・クシュラ」が、いつしかリングネームとなっていた。だが、このゲール語の意味をマギーは知らない。タイトル戦に勝ったら教えてやるよ、とフランキーは言ったのだ。

ラスベガスのきらびやかなリングで、メインイベントとしておこなわれるタイトルマッチ。最初は劣勢のマギーだったが、果敢に攻めて相手からダウンを奪う寸前まで行く。そこでゴングが鳴り、揚々とコーナーに引き上げるマギーの後ろからパンチを浴びせるチャンピオン。レフェリーが横を向いていたスキを狙った反則だ(と思う。こんなの卑怯だよ)。
★以下、ハデにネタばれにつき、読みたい人は反転してください。

マギーはリングに倒れこみ、そこには運悪くフランキーが用意した椅子が…。フランキーは椅子をどけようと走るが間一髪間に合わず、マギーは首を椅子の足にぶつけ、頚椎を骨折してしまう。

ここからやりきれない後半が始まる。チャンプの座まであと1歩のところから急転直下、リングで一心に戦った躍動的なボクサーの姿は消えうせ、首から下が完全に麻痺してしまったマギーの無残な身体がベッドに横たわる。この落差にしばし呆然。あまりの変化に心がついていけなかった。

フランキーの悔恨。女ボクサーを押し付けたおまえのせいだ、とスクラップに理不尽な怒りまでぶつける。マギーは最初、生き抜く気力を見せるように思われた。だが、それも束の間、壊死してしまった左足まで失い、マギーは死を望むようになる。トレーニング開始以来、すべてを委ねてきたフランキーに死なせてくれ、と請い願うが、もちろんフランキーは受け入れない。

どんどんドラマは重たくなっていく。フランキーはマギーの尊厳死を認め、自ら手を下すべきか迷い悩んで、神父のもとへ相談にいくが、もとより神父は頷くわけがない。教会で毎朝フランキーにからかわれ怒ってばかりと思われていた神父は、しかし、ここではフランキーの味方に見えた。神父としてではなく友人として精一杯、誠意に満ちたアドバイスをしたからだ。些細なことだが、脇役ひとりとってもキャラが重層的で、意外性を持っているところが、ドラマをよりリアルにしている。


フランキーの最後の決断はあれでよかったのか、許されるのか? だが、善悪や許す、許されないといった判断とは別次元の、尋常ではないほど強力な絆がマギーとの間に築かれていたことが大事なのだ。ふたりはトレーナーとボクサーという間柄をはるかに超えて、孤独な魂同士としてつながっていたのだから、あの結末は別れではない、と信じる。

最後に、本物のレモンが入ったレモンパイが好きと言った、お茶目なフランキーの一面が、大事なシーンにつながる伏線だったのは、まったく予想ができなかった。やられたな。

  • 2005.06.27 Monday

A long time ago in a galaxy far, far away...

「スター・ウォーズ エピソード3」の先々行上映に行ってきた。
1978年の第1作=エピソード4を神戸の新聞会館でみてから27年(!)
やっと完結したんだと思うと感無量。その感触をとにかく早く味わいたくて、夜中に最寄のシネコン、大泉Tジョイまで自転車を走らせたのである。

家人(ぽん)はSWを劇場にてリアルタイムでみていない世代なので、私がなぜそんなに早くみたいのか理解できないと言う。エピソード1&2の先行上映のときは何とかつきあってくれたが、今回は「もー飽きたから、ひとりで行っといで〜」と言われてしまった。最初の3部作(エピソード4〜6)をテレビでみた世代には、このワクワク感はわからんのかもしれない。

スターファイターの戦いに思わず身をのけぞらせ、SF映画初めてのド迫力にしびれながらみたエピソード4。当時としては斬新すぎる映像と、一度聞いたら耳から離れない音楽は、10代だった私の脳裏に鮮やかな記憶となって残っている。その残像を追い求めるように、エピソード3の先々上映には、私と同世代の人もかなり来ていた。

でも圧倒的に若い人のほうが多かったように思う。劇場を出るとき、後ろのほうで「字幕の漢字がムズカシくて読めなかったよー」と20代半ばぐらいの男の子たちが話していた。おいおい、漢字読めないんやったら吹替版を見ろっちゅうねん!

●むかーしむかし、むっちゃ遠い銀河の果てで…
懐かしい A long time ago in a galaxy far, far away...
がスクリーンに出てくるのは毎度おなじみ。
(字幕が上のような関西弁だったわけでは、決してない。私の頭ん中で、勝手に変換されていただけである)

んで、じゃーんとテーマ曲が流れると、これも毎度のことだが、28年前のワクワク感がどっと蘇ってくる。あーこれこれ、これやねんなー!と脳内では誰かが叫んでいるのだ。

さて中身である。正直に一言で言えば「あーそうか、そうなんか、そうやったんかー!」。
>どんな感想やねん!

アナキン=ダースベイダーなのは既知の事実だし、前3部作のヒールぶりもよーくわかっているだけに、一番知りたかったのは、なぜあの可愛いアナキン坊やがダースベイダーになってしまったのか?というところだ。

その理由があんなに切ないものだったとは。
自業自得とはいえ、愛するすべてを失って自らもサイボーグとなったダースベイダーは絶望と悔恨の権化と化し、半ばヤケでダークサイドの深みへと突っ走ったわけだ。

物語が終末に向かうにつれ、つまりエピソード4の始まりへと近づくほどに、「あ〜そうだったんかい」の思いも強まっていく。3の次は4なのだから、当然なのだが、4からみはじめた者にとっては、やっと話が最初に戻ってきたんだ、という安堵感とともに、30年近く前にみたエピソード4が個人的記憶とともに思い出され、頭の中グルグル状態である。CG大作に付き物の長い長いながーいエンドロールを見るのがイヤなのであろう人たちが、とっとと席を立ち劇場を出て行くのを尻目に、私はずずーんと椅子に沈み込み、感慨にずるずると浸った。

ところで、パドメ役のナタリー・ポートマンは相変わらず美しく気品があった。だんだん言葉が届かないところに行ってしまうアナキンに対する不安感、悲しみを、おなじみ「ハの字」眉でくっきり表現していたな。この人、ほんとに正統派美人なのに、「クローサー」のときにも感じたが、泣き顔はどの映画でも「レオン」のマチルダになってしまう。それが悪いわけじゃないが。

戦いのシーン、特にライトセーバーの決闘シーンは前2作より多いように思った。ヨーダも大活躍していて嬉しい。溶岩の真っ只中で展開されるアナキンとオビワンの師弟対決の結末は、スターウォーズ史上もっとも残酷なシーンではないか。溶岩を浴びて生きながら燃えているアナキンを、そのままにして立ち去るオビワン。もうちょっと深刻な顔してほしかったけど、ジェダイは「愛する者」に執着してはいけないのだ。執着心こそがダークサイドに堕ちる原因となってしまうのだから。

…ということで、ついに完結したスターウォーズ、一度はちゃんとエピソード1から6までを順番どおりに通しでみてみたい。丸1日ぶっ通しで「スターウォーズ完全上映」なんて企画が万一実現したら、絶対いくぞー。

  • 2005.05.31 Tuesday

近づけば傷つくのに〜「クローサー」

先日ふらっとみた映画の感想など。
(mixiの映画レビューといっしょやん、ってツッコミはなし! ちょっとは変えてます)

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精神的に大人あるいは鈍感、あるいはタフな人のための映画。4人の出演者も20代、30代、40代と多彩だがこれは10代のコムスメがみてもあんまりオモシロクないでしょ。理解できないまでも共感するためには、ある程度の人生経験が必要な気がする。4人にそれぞれ共感しまくって疲れてしまったワタシは…、はい、修羅場経験だけはムダに豊富です、どははショック

◎そこまで言うか〜のエロ会話満載◎
R-15指定なのにエッチなシーンは一切なし。そちらを期待するムキにはお勧めできない。ただし会話がエロい。実生活でも、あんなこと、こんなこと、あそこまでガンガン言葉にしてやりとりできれば、さぞかしスカっとするに違いない。フーゾク的で過激な言葉が軽やかにリアルに紡がれていく過程で、どこかでかすかに知性に訴えてくる、という点でまさにおとな〜な映画なのだ。コトバは過激でも言ってる本人たちは真剣、だからこそ切なくもどこかコミカル。ぽんぽん飛び交うセリフの1つ1つが(たとえどんなにエロくても)よく練られていて、演劇的な展開だなあ、と思ってたら、なんと元は舞台だったのね。納得。

出演の4人が豪華絢爛〜という以外あまり予備知識もなく、たまたまタイミングがよかったのでみた映画だったが、気分的には大当たり。最初10分を見逃したけど、あまり大勢に影響はなかったと思う。ストーリーそのものより、4人がくっついて離れて裏切って裏切られて嘘ついてバレて真実知って傷ついて…という一見複雑で実はシンプルな心理と行動そのものがテーマだから(でもオープニングが印象的という声をう後から聞き、実は再度みようかしらん、とも思っていたり)。

◎主演も助演もない下克上的chemistryが充満◎
豪華キャスト4人の中では、ジュード・ロウ(ダン)がいちばん損な役回り。現実にこういう人がいたら、いくら美形でもやだね。でも、やだね〜と思うほどに惹かれることもあるわけで。そこが困ったところ。ちょっと間違ったらストーカーになっちゃう粘着質ネバネバ〜な優男くん、情けない泣きっぷりまでみごと。いろんな意味でまったくもって「困ったちゃん」なダンがいなければ、この物語は成り立たないので、ダンは4人のベクトルの一番最初に位置するキーパーソン。ってことで一応、主演。でもこの映画「助演」が賞を総なめにしてるみたい。ジュード・ロウの芝居は正統派すぎて、かすんだか。

アンナ役のジュリア・ロバーツは、魅力的なサクセス・ウーマンの役を割とおとなしめに演じている(だから助演に喰われた?)。なんだか訳のわからない行動を取るけど、そんな自分を持て余し気味、でもどうしようもない、っていうアンナを「わかりやすく」表現していたと思う。どんなに才媛であってもわけがわからん人生だってあるのだ。成功した写真家であり、芯がしっかりしているからこそ、恋愛でブレまくってしまう。決して奔放なわけじゃないんだが、こういうブレ方をする女性は多いはず。でもジュリア・ロバーツには、こういう内省的な役より、ガハハと笑って元気に突っ走る「エリン・ブロコビッチ」の方向性をとことん極めてほしいな。

ナタリー・ポートマンは、ハスッパだけど一途な感じを自然に出していて秀逸。彼女が演じるアリスが、もしかしたら登場人物の中で一番賢いのかもしれない、と思わせるうまさも、あざとくならないのが若さの強み。でもさ、ストリッパー役として、小ぶりでも形のよいオッパイとぷりぷりヒップをぎりぎりまで見せてるけど、もっと潔く! ヨーロッパ系の女優は、あんなに可愛かったソフィー・マルソーだってバンバン脱いだではないか。必然性なくヌードになる必要はないけど、この映画ではハダカは必然だし、脱がないほうが不自然。そこだけ、不満。おっさん的な不満だけじゃなく、物語的にも。後々「あの作品で脱いでおけばよかった」なんて後悔しないとも限らない。逆説的にはストリッパーなのにヌードシーンがないこと自体が、この映画の意味なのか?と勘ぐってみたが、やっぱりただの出し惜しみっぽい。

一方、「キング・アーサー」ではなんとも地味ぃな王様だったクライブ・オーウェンがここでは生き生きとラリーを熱演。不健康に見えるぐらいヒゲ跡まっくろなのも、絶倫な感じにはぴったりで、うそくさいほどイヤらしく強烈なセリフも彼が吐くとリアルで迫力がある。これもあとから知ったけど、彼はやっぱ舞台俳優だったんだね。道理でセリフまわしがウマイ。ちなみにオーウェンは舞台版で、ダンを演じたそうだ。うーん、だから映画では楽しそうなのか。ダンが子供じみた屈折だとしたら、ラリーは円熟した紆余曲折。人生いろいろありますわな、でもオレはこれだけは譲れんのだよ、悪いな、ふっふっふ、っていう屈折おやじが暴言・暴走の嵐で、屈折坊やダンを圧倒する。

◎原作で、さらなる追体験を!◎
4人が一堂に集う唯一の場面で、アリスがアンナを称して"She is very...tall"と言う場面があった。調べてみるとナタリー160cm、ジュリア175cm。確かにね、ナタリーちっこいわけだ。ちなみに男優陣は180cmと189cm。アーサー王、そんなにデカかったのか。

主要キャラがたった4人で、時間軸は前触れもなく行ったり来たりし、会話が延々と続く展開だから、嫌いな人には耐えられないほど退屈な映画だろう。でも深いよ。後味がよくもなく悪くもなく、ため息は出るけど悲しいほどじゃない。ネカマチャットするなど、ちょこっと笑えるシーンもあり。どっぷりハマった証なのか、帰宅後、即、Patrick Marberの原作をamazonで注文してしまった。今一度、あのエロくも直截真剣な会話劇を体験してみたい誘惑に負けたよ。

アマゾンにオーダーして1週間。まだ来ない原作を待ち焦がれる毎日なのだった。

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