21世紀2回目のVが、そろそろ気になってきた。まだまだ油断は禁物なのだが、優勝したら…と思うと、あれこれあれこれ妄想が広がるわけですよ。
前回の優勝時、1992年の優勝争いレースの年とも、シーズン終了後に「タイガース優勝おめでとう!」ビール(1992年は「がんばれタイガース」ビール)」を1箱、職場で配った。2003年のときは京王百貨店に大々的にタイガースコーナーができ、ビールもラクに買えたけど、1992年当時は東京にはどこにも売ってなくって、職場近所の酒屋さんから関西に特別発注してもらいましたっけ。
んで、今年ももちろん買いますよ、ってことでそろそろ準備をしないとね。
ビール1箱なんて、そんな高い買い物じゃないですが、楽しみでもあるので貯金を始めました。
名づけて
「タイガース勝つたびに500円貯金!」
優勝までにいくら貯まるかなあ。
いっぱい貯まったらビール1箱とかケチなこと言わずにいっぱい買ってみんなで飲もうっと(わくわくわく)。
…とせっかく思いついたのに、今日は雨天中止。よりにもよって首位攻防戦に試合中止とは、がっくりこ。
先日、仕事でちょっとタクシーに乗る機会があったのだが、思いがけず運転手さんと自転車の話がはずんだ。
その運転手さんは20年以上前の中学生の夏休み、時給500円のバイトをして、パーツを1個1個買い集め、15万の自転車を組んだそうだ。思わず「どこで作ったんですか?」と尋ねると「ご存知ないでしょーねー、神金。ペガサスのとこですよ」
おおおペガサス、知らいでか! もしかして中学生でランドナーですか、シブい!と答えた私に、運転手さんは「おや?ご存知ですか?」と、ウレシそうに語り始めた。カンパの部品をどうしても手に入れたかったこと、どうしてフルオーダーをすることになったか、云々。
今はもう乗ることも少なくなったけどねえ、と運転手さんは懐かしんでいたけど、きっとまた近いうちに乗り始めるに違いない! 中学生で15万の自転車を作った情熱は、いくつになっても消えることはないと思うなあ。
自分だけの、世界でたったひとつの特注車。私もいつか作ってみたい。
先にお金貯めなきゃ、あかんけど。今後は子供の教育費がかかってくるから、いつのことになるのやら(急に現実に戻ってしまうのだった)。
8月も終わり、ふと思いついて「テンプレートの交換」をしてみた。
言うなれば、季節遅れの衣更え。
トップにいつまでもタイガースどーん!というのはねえ。。
いえいえタイガースには頑張ってほしいですけど!!
夏らしいテンプレが新しくできていたので、採用。
でもタイガースロゴがなくなるのはしのびないので
自分であれこれテンプレ編集して、ちっちゃく残してみた。
なんかロゴカラーと全体のブルーが合いませんが。ま、いいや。
ロゴちっちゃいし。豆みたいになってもた…。
タイガースロゴ、取り残されたみたいで寂しそうかも。
追記:
やっぱ全体にちと寂しいので、ライン1本(無料の素材より)引っ張ってきて、虎の写真を加工して入れて、ロゴをカレンダーの前のアイコン代わりにしようと移動。
昨晩、台風が近づく中、運悪く土砂降りのときに事務所を出た。
広いとは言えない旧甲州街道の歩道を歩いていると、何台も無灯火の傘差し自転車がやってくる。
歩道の端によけたが、傘を目深に差してる自転車は視界が悪いらしく(当たり前だ!)傘が何度か私の傘にぶつかってしまう。1度ひどくぶつけられて、私の傘はほとんど飛びそうになった。土砂降りの中、1秒でも傘が身体から離れると、頭からずぶぬれである。ぬうわわわー!(怒
無灯火で傘差して狭い歩道をびゅんびゅん飛ばす
あんたら、何考えてんねん!
ほんまはトリプル法律違反やねんぞー。
雨の日に自転車乗るんだったらカッパぐらい買えー!
どーしても傘差したいんやったら、せめて透明なもんにしてくれー!
(前が見えるように)
狭い歩道を猛スピードで走るなー、特に視界の悪い日!
どーしてこんなにマナーの悪い国になってしまったのか。
帰宅後、台風ニュースをぼーっと眺めながら、延々と考えてしまった日であった。
追記:歩道や細い裏道を歩く時の注意
◎まっすぐ歩く。不用意な方向転換はしない。
◎方向転換するときは必ず後方確認する。
◎なるべくどっちかの端っこを歩く。
⇒端っこと自分の間に自転車に割り込まれるような微妙な隙間は作らない。
狭い隙間をすり抜けられるのは非常にコワイ。
こんなことしないと暴走自転車からは身を守れないのは情けないが、現実に即さないとしょうがない。
うちの老親にも上記のことをよーく言い聞かせている。
もちろん自転車に乗る立場になったときは、歩道走行時はゆっくり走っている(もともとゆっくりしか走れないし^^;)。ヘルメット着用していてもゆっくり。特に、繁華街や駅前の混んだ歩道では諦めて押して歩くことも多い。車道を走る勇気とスピードがない以上、「歩道では歩行者優先」を守るのは当然なのだ。
昨日、のっち(娘)とその同級生を連れて「としまえん」へ出かけた。
第1の目的は「皇帝ペンギン」を見る、第2はとしまえんで遊ぶ!
家を15時前に出たが、まだまだ暑い! 西武池袋線で豊島園へ。初めて降りる駅なのでわくわく。
# ホントは石神井川沿いに自転車でとしまえんに行こうと提案したのだが
娘たちに却下された。えーん。秋になったら自転車で行こうねえ!
駅を出たらまだ右側にあるユナイテッド・シネマで18時45分の回の映画の
席を取る。満席か、なんて心配したけど、まだまだ余裕。
としまえんに入ったのがちょうど3時45分。
涼しそうな急流すべりをしようと思ったら長蛇の列、後回し決定。
歩いていると、どこからか霧が。
あちこちで霧発生装置が作動しているらしく、なにやら涼しげ。
遊園地定番のソフトクリームは溶けるのが異常に早く、手がべたべたになって一騒動。
バイキング、(結局並んだ)急流すべり、メリーゴーランド(でかい!)と、いろいろ遊んで6時半、映画館へ。
遊びすぎて子供たちは映画の最中に寝ちゃうんじゃないかと思ったけど、ちゃんと起きてた(2、3分、うつらっとしたらしいけど)。
皇帝ペンギン、子供にも好評!
あの過酷な環境で子育てをするペンギンたちには脱帽だ。命がけで卵を守りヒナを育てるペンギンを見て「人間でよかった〜」と心から思ったよ(笑。
数的にはオスがメスより少ないため、カップリングではメス同士の争いもある。羽でばんばん相手を叩いて、かなりの迫力。その間、オスはなす術もなくぼーっと見てるんだけど。
なぜオスが少ないか。映画を見てると理由がわかった。メスは卵を産むとすぐ海へ向かう。20日間歩きとおして海に到着し、空腹を満たすのだ。だがオスはメスが帰ってくるまで、さらに3ヵ月間、エサを食べずに卵を温め続ける。やっと帰ってきたメスと交代する頃にはなんと4ヵ月以上の絶食状態。20日間歩いて海にたどりつく体力ぎりぎり、だそうで、この行進で命を落とすオスが多いらしい。
ペンギンの子育てはオスのほうが体力的負担が大きいようだ。でも、卵を産むのに体力を使ったメスが先に海へ出かけるのは当然。どっちにしても大変だよなあ。
人間も確かに「産む」のは命がけではあるが、その後「育てる」ときに、これだけ命がけでやってるか?と問われると、ペンギンのほうが文句なく偉いと、つくづく思う。
ペンギンのヒナがあんなにもかわいいのは、奇跡のように守られて生まれてきた生命だから。1羽の愛らしいヒナの陰には、凍てついた卵やヒナ、アザラシに捕食されてしまったり行進中に力尽きた親鳥が無数にいるのだ。
そんなヒナも成長し、夏になって氷が溶けて営巣地近くまで海が近づいてくると、一人立ちして海へ帰っていく。
まだまだ幼鳥のふわふわ毛が抜けきってない姿だが、4年後、営巣地へ戻ってくる頃には、立派な大人ペンギンになってるのだろう。
ところで吹き替え版を見たのだが、ナレーションはともかく、音楽が非常によい時と、耳障りなときと、差が激しいように感じた。 WATARIDORIみたいに、ほとんど音楽抜き、でもよかったかも。
うちは夫婦であまり趣味が合わず、いっしょに映画に出かけるのも
多くて年数回。
お盆、お正月、クリスマスってなところだ。
その合間に、お互い好きな映画を適当にひとりで鑑賞してる。
んで「宇宙戦争」。
珍しく意見が合ったので、これ幸いといっしょに出かけた。
つれあいが「ホラーだ」と言い張るので、ひとりではみたくないよーんと
珍しく弱気になっちゃったせいもある。
んで「宇宙戦争」の感想。
確かにホラー風味であった。火星人ぐちょぐちょ系でグロテスク。
人類がパニックになっていく様子もホラーっぽい。
何よりホラーなのは、トム・クルーズの娘役ダコタちゃんの悲鳴。
悲鳴ちゅうよりは「金切り声」。
それも一本調子な「キャーっ、きゃいきゃいきゃーっ」じゃなくって
「グギャーーーーー、ヴヒャァァァァァ、キェェェェェーッ」
と、シーンにより、身の毛もよだつような何種類かを使い分けてる。
このコ、すごいわ、と思った。
1度も笑顔を見せず、悲鳴と目の演技だけで恐怖を表現してる。
対して、トム・クルーズはやっぱり生来の「さわやか笑顔」が邪魔して
ダメ父ちゃんが今ひとつダメに見えませんねん。
全体としては「宇宙人襲来の恐怖」をきっちり描いたSFパニック映画として
及第点だと思う。
でもねー、家族愛に生きるあまり、助けてくれた恩人にあの仕打ちはどうよ?とか、オヤジに反抗して危険を顧みず宇宙人との戦いの現場に飛び込んで行った息子の運命はあれでいいのか?とか、人類より優れた知能を持つはずの火星人が、なぜ地下室に潜む主人公たちに気づかないのか?
等々。
いろいろツッコミどころが満載で、映画鑑賞後の話題には事欠かない。
そういう意味では最高の(?)デートムービーですわ〜。
飲み会で遅くなり、午前0時過ぎの中央線に乗り込む。
東京駅始発なので座って、うつらうつら〜としてたら、不意に大声がした。
「なんじゃらかんじゃらうんぬんかんぬん…」
声の主は、向かいの席に座ってた酔っ払いの陽気なおっちゃんだった。
隣に座ってたおねーちゃんに話しかけ、肩をたたき、笑いこける。
悪気はないのだな。酔っ払って話ししたいんだな。ただ何言ってるんだか、わからん。
隣のおねーちゃんは、いやそうな顔をして、そのうち立ち去ってしまった。
その次に隣に座った人も、すぐどこかへ席を移った。
しばらくするとおっちゃんの周りはだれもいなくなった。
でも、おっちゃんはひとりでしゃべり続けている。
そうこうするうち、新宿で人がどっと乗ってきて、混んで来た。
私の前にも人が立ち、向かいの席が見えなくなった。
またしても、うつら〜とし始めた私だが、すぐに目が覚めた。
何か違和感。そう、おっちゃんが静かなのだ。あれれれれ?
降りたのかしらん。
人の間からちょっと覗いてみると…。
おっちゃんには友達ができていた!
隣に座った男の子と楽しそうに、大きな声じゃなく普通の声で話している。
相変わらず、話しながら肩をたたいたりして、ご機嫌。
支離滅裂な話をしているようだったが、なんだかほほえましかった。
隣の男の子は、いっしょうけんめい話を聞いてあげているので
おっちゃんは、これ以上ないぐらい上機嫌なのだ。
そんなふたりの姿は、ほんとに友達のようだった。
終電間際の中央線には他にも、口ゲンカ真っ最中のカップルとか、
パーティ帰りのキレイなおねーさんとか、お仕事帰りの疲れたおとーさんとか、いろんな人が乗り合わせ、偶然のひとときをいっしょに過ごす。
何の連帯感も脈絡も、あるわけないのだが、そのひとときがふと不思議に思えて、なんだか電車を降りるのが寂しくもあった。
昨日の予定だったスペースシャトルDiscoveryの帰還が1日延びた。
ちょうど会社を出る頃に京ぽんでNASAのリアルタイムWebを見ると
あと15分ぐらいで帰還するかどうかの決定が出る、というアナウンスが。
http://www.nasa.gov/returntoflight/launch/landing-vlcc.html
それから後は、1時間半の通勤中、ほぼ3分〜5分おきにWebをリロードした。
親切なことにNASAにはText onlyサイトがあるので、ストレスを感じずに
見ることができる。
▽ここ
http://www.nasa.gov/lb/returntoflight/launch/landing-vlcc.html
スペースシャトル帰還の模様を、通勤電車内でリアルタイムに知ることができるというのは、なかなかワクワクする体験だった。
土用過ぎても毎日暑い。暑いは鰻。鰻はシモキタ。シモキタは野田岩。
つーことで、下北沢鰻ポタの日がやってまいりました。
ヨネダさん、kiraさんと現地集合。
行く途中、吉祥寺で髪をカットしたので、自宅からのルートは
石神井〜吉祥寺〜神田川沿いに荒玉水道道路まで
〜甲州街道〜井の頭線沿いに下北沢
と、鰻よろしくニョロニョロと曲がりくねって到着。
3時過ぎに家を出たときは、まだ日差しもあっちっちだったが
カットを終え、吉祥寺を出発した4時半頃には、何とか暑さも一段落。
…なわけはなく、湿度むんむんのお風呂場状態な夕暮れを
汗まみれで疾走すること1時間余。
神田川沿いは道が途切れることなく行けると予想したのだが、
三鷹台駅前でぷっつり途切れ、しばし回り道。ほどなく川沿いに戻り、
あとは一直線。かと思いきや、井の頭線沿いでも線路沿いの道が
はかなく消えること数回。行き止まりは裏道走行の常ではあるが。
△神田川に沿って走る井の頭線
どーにかたどり着いたシモキタは人が多い! 野田岩は人気店らしく、開店5時半なのに5時前から長蛇の列だったらしい。 (5時から並んでくださったヨネダさんに感謝。私が遅くなったのでkiraさん&私は野田岩6時前着) 午後6時半頃の野田岩前。忍耐である。 |
枝豆、もずく、鰻のにこごり(珍味!) | やっと店に入れたのが7時前。でもそこからはスピーディーであった。鰻を注文してから1時間は待たされると聞いていたのだが、左の3点セットをツマミに、世にもおいしいビール(大汗の後ですから!)を3人で2本いただき、ぷはーっと大満足する頃には鰻がやってきた。 |
8月に入った。毎日暑い。暑すぎる。
あぢーと言いながらもお盆が来て、京都五山の送り火の頃に暑さ最高潮。
関西出身の私にとって8月の経過はそういうもんだと、刷り込まれている。
(「大文字焼」で有名な五山の送り火は、古来、京の都の風葬の地であった蓮台野、紫野、化野、鳥辺野などの近くの山で点火される。)
ところが。
東京・府中ではすでにお盆は終わってしまっているのだ!
8月3日の朝、いつものように旧甲州街道沿いを歩いて通勤していた私は
こんなもん見っけたんである。
撮影したのは8月5日なので、送り火のあとは片付けられてしまっているが、
3日の朝には、茄子や胡瓜で作られたお馬さんのそばに、確かに火を焚いたあとの黒い灰が残っていた。
旧甲州街道が甲州街道と合流するちょっと手前のこのあたりは、旧家や農家も多く、撮影したのは、街道南側の畑でとれたての野菜を直売する農家の軒先である。
その日のお昼休み、野菜を買うついでに聞いてみたところ、
「府中のこのあたりでは、迎え火が7月31日、送り火が8月2日なんです。
でも旧甲州街道のあっち(北側)では、また日が違うんですよねー」
という答が。
へぇ〜!
知らなかった。
関東では7月13〜15にお盆をするところが多いのは気づいていたが、これにはホントにびっくりした。
西日本と東日本、いろんな違いがあるのだな。
またひとつ、違いを見つけた夏なのでした。